2013年6月27日木曜日

海の上で迎える夜明け――河今定置網乗船記――

南越前町でも海に面している旧河野村の地区は、福井県内でも有数の好漁場の一つとして挙げられています。ここ河野の海沿いにある多くの民宿では、いまの季節だとブリが、そして冬場であれば越前ガニといった海の幸を訪れた者へ提供しています。

そんな河野地区にて私(川村)がある会議にお邪魔した際、「定置網を見学してみたいのですが」と発言したことがきっかけとなり、あれよあれよという間に河野地区の定置網組合である河今(かこん)定置網の漁船へ乗ることとなったのでした。なお、河今定置網のほかにも甲楽城(かぶらき)地区や糠(ぬか)地区にも定置網があるとのことです。

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乗船当日の午前2時半。暗闇の中を河野漁港へ向けて出発します。
(余談ですが、その道中の道端で野生のシカを見かけました…)


河野総合事務所そばにある河野漁港に到着したのが午前3時45分ごろ。港内は既に煌々と輝く明かりの下にありました。

役場の作業着を着た突然の来訪者に、漁師さん達の中には戸惑いを示す方も居たのですが、そこは何とか説明していざ漁船へ。すると船は瞬く間に港を脱し、沖へ。



この季節の朝は早いもので、もう空が白んできました。

海上を進むこと5分、黄色い浮き玉が連なるポイントへ到着。ここに定置網が設置されております。

このように2艘で網を挟み込み、

隙間から手持ちの網などで掬い上げます。

陸地から流入する養分を蓄えた種々の魚が、網から籠へと吸い込まれていきます。


作業が一旦終わった後の様子です。私が乗った船は次のポイントへ…









移動中に一服。


次のポイントに到着しました。

作業中に陽が差してきました。

作業自体は先ほどと同じ要領で行います。

既に船上に居る先客を横目にしつつ…

クレーンを利用して素早く進めます。

帰り際には多数の乗船客がいらっしゃいました。

河野漁港へ帰りました。待ち受けていたのは漁師の嫁さん達です。







その後はみんなで魚を仕分けます。ちなみに、河今定置網の組合長さんによると、水揚げされた魚は一部を除いて福井市や敦賀市の市場へ出荷されるとのことです。地産地消なんですね。

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実は乗船する前に船酔いだけは覚悟すべし、とよく言われました。そこで対策として、前日の晩から何も食べず、さらには当日の天候の穏やかさも相まって、特に問題なく下船。

……秋以降の漁が楽しみです。

[隊員① 川村]

2013年6月25日火曜日

今庄宿再発見・ぶらり町歩きの旅

今庄宿プロジェクトでは、各テーマに沿った部会での検討が始まりましたが、その一つ、空き家対策部会が「まずは歩いてみよう」ということで、6月23日に町歩きを企画。この動きに、他の部会から「うちもやってみよう」という声が上がり、みるみるうちに参加者が増えて総勢30人超えの町歩きとなりました。皆さん自由に自分のペースで歩き回りながら、魅力あるスポットや気になるところを写真に収めたり、ああだこうだと話しながら町の現状について理解を深めました。


私も駅からスタートです。まずは部会でも「何とかしたいね」と話題に上る、元スーパーマーケットエフエフさんの空き店舗。私も今庄駅に初めて降り立った時には「お、コンビニみたいなものがあ…いやなかった」と、ちょっと残念な感じがしました。


もう一つの駅前空き店舗、元喫茶アミーさん。地方ではこのような「カフェと言いつつ雰囲気スナック」というお店をしばしば見かけます。一般的なお客さんには入りづらいタイプですが、私はこういうお店にドキドキしながら一見さん道場破りをするのが好きです。
お店の人に快諾いただいて、中を拝見しました。広くて長いカウンターにかなり人数の入るボックス席、個室まであります。電車が1時間に1本とはいえ、夢の「駅から徒歩10秒」。この町に来て何度言ったかわかりませんが、もったいない。

旅をしていると、駅前やバス停等降り立ったところに「拠り所」があるかないかがまず気になります。ただし一方で「何もなさ」が良いという場合もありますので、駅前を訪れた人にとってどんな場所として位置づけるかは検討する必要があると思います。

陸橋下の横道へ。向こうのそのまた向こうまで、空き地が1列ビンゴを目指して貫いています。人がいなくなった象徴としての寂しさの反面、ここから何か始まりそうな期待感もあります。

長~い陸橋も「屋根の支柱の並びがきれいかも」とか、旧踏切跡も「横断幕なんか出したら電車から読めそうだな」とか、見方を変えればいろいろ遊べそうな気がしています。

稲荷神社や新羅神社等、私お気に入りの山際スピリチュアルストリート。

最近少し見慣れてきてしまったけれど、やはり今庄宿の顔である、旅籠建築のおじぎ姿。

鮮やかな紫陽花と趣のある蔵が、問屋跡の柵の中に人目を忍ぶようにひっそりと佇んでいます。

途中、部会員の皆さんとも合流し、眺めるだけではわからない往時の今庄話や空家の現状等のお話を聞きました。過去や現在を深く理解することは、その上に未来を築き上げていくために不可欠な礎になります。
実地調査―フィールドワークでは、自分の身体で測り、自分の五感で読み取ることによって、文献や画像・映像では測れない・読み取れないたくさんの情報を、一度に得ることができます。

「毎日車で通っているので見慣れている」という自分の町も、いつもと違う高さや速度、装いで、旅人の気持ちになって歩いてみると、これまで気づかなかった新しい景色に出会えるかもしれません。

[隊員2号 荒木]

2013年6月24日月曜日

神秘の池とオンリーワン――夜叉ヶ池山開き――

6月の初旬、長らく冬季通行止めだった夜叉ヶ池への登山道が通れるようになりました。
その模様を山開きの神事とともにお伝えいたします。

国道365号線から県道231号線へ広野ダム方面へと向かった先、その広野ダムの傍らにバリケードがありました。今回ここから先へ行けるようになったということです。まだ先は長いですね…。

(※5月11日に撮影した写真です。)

登山口に到着しました。今年も装い新たに、登山客を迎えんとしています。

鳥居のすぐそばには、夜叉ヶ池に伝わる伝説を基にした泉鏡花の戯曲『夜叉ヶ池』の碑が立っています。



神事に先立ち、湯和会(とうわかい)さんによる詩吟、真舞流吟舞道会(しんぶりゅうぎんぶどうかい)今庄教室さんの舞による扇舞『夜叉ヶ池』が奉納されております。



今庄にある白鬚神社の宮司さんをお招きし、登山の安全を祈願する神事を執り行いました。



関係者によるテープカットと同時に、待ちに待ったと登山客が夜叉ヶ池へと向かいます。
私(川村)もジャージにショルダーバッグという超軽装で挑みました。



参考までに、夜叉ヶ池までの登山道の様子はご覧のようになっております。
 

 

 

 



険しい山道を登ること2時間、ついに視界が開けてきました。


山奥にポツンとある池の上を、霧が滑るように吹き抜けている、そんな幻想的な光景が広がっています。

池の畔にあるのがこの奥宮夜叉龍神社(おくのみややしゃりゅうじんじゃ)です。
1981年には福井県側から資材を運び、豪雪にも耐えうる神社となったのですが、年数が経つにつれて綻びを隠せなくなってきているようです。

実は、世界でもこの夜叉ヶ池にしかいないという固有種の昆虫をここで見ることができました。ヤシャゲンゴロウという名前です。環境省および福井県のレッドリスト絶滅危惧I類であり、また種の保存法においても国内希少野生動植物種に指定されていることからも、この生き物のあまりの貴重さを窺い知ることができます。




池の岸辺はちょっとした砂浜になっていますが、今はこの通り。木製の歩道が整備されており、砂を踏むことすら許されません。しかし、数年前まではこの歩道もなく、水際まで迫ることができたそうです。

――夜叉ヶ池にまつわる逸話は尽きず、記事の内容も多岐にわたってしまいました。ですが、それだけの「オンリーワン」がここにはあり、この日も遠くは関西や石川方面からも登山客が訪れています。
町民とともにオンリーワンを紡ぎ、そして発信していく。それが更なる地域の盛り上がりへと繋がるように、これからも努力して参ります。


[隊員① 川村]